偏見のない社会でいじめをなくそう 


陰日向支えてくれた亡きそしてありき友。たくさんの時間を共にし対話が つづいた土曜日の親戚会からの練習会の翌日。

自らがいまそこに存在する大元や中心は、その過程にある、ことであり、「宗」にある『もと』を知り、もとの「教え」の意味にある『さとされ』る過程にあることである。

 これは出家するようなことがなくとも普段がら経験することでもあります。その経験は影響され変化します。その影響が元または中心です。

 今となって見るとゼミの経営論 世界一目前の日本(企業)が存在した世界(の中の一つの社会)は、気高くこころ使いができる日本人の一旦であることを理解するべきでした。

 無宗教国家(言葉)が、一人歩きするほど経済一辺倒時代は、バブルとして散るわけです。経済活動に宗教が入り込んきて壺やお布施の金額が数百万数千万と言う問題も勃発していました。

 神仏分離令から第二次大戦後を経て今の日本人が世界から10番目以内と低い信仰心となっています。このような違いについて、学ぶ機会はほとんどない、知らないと言う人が多いのではないでしょうか。

  経済以外を不悪とした90年代。宗教を持つ悪と、持たない善という象徴的な言論が脚光を浴び、マスコミュニケーションと共に刷り込みを行って行ったのでしょう。

 人や木そして耕す田畑を捨てること

 20年、2013年international day of happiness 制定で、幸福について考える機会が訪れるまでには、

 ご存知のように2011年の北朝鮮金正恩の就任から拉致問題解決の後退、そしてリビアとシリアの宗教的内戦で圧迫された酷い社会などが世界で露呈します。

 メディアにと同じ考えの声高な聴衆が放つ「理解できないことはわからないものと隅っこに追いやる脳の仕組み」を生み出します。

 戦争といじめ、人の諍いの元、と言っても良いでしょう。

 その心のないままにAIでさらなる問題になる可能性があります。

 

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